アンドラーシュ・シフの「皇帝」 11月6日, 2019


コンサートが終わって上野から山手線に乗車すると, 1両に数人。でも, しばらくして見上げると東京駅も過ぎたようで, 向かいの席の老若男女7人全員が携帯の画面に目を伏せているほどには混んでいた。いつもの様子だ。

しかし, あの演奏会は何だったのだろう。「皇帝」が終わった時, なぜか不思議にも涙が流れ, なぜかちょっと恥ずかしかった。こんな感動始めてだ。わけがわからない。


サー・アンドラーシュ・シフ & カペラ・アンドレア・バルカ
 Sir  András  Schiff & Cappella Andrea Barca

J. S. バッハ・・・『音楽の捧げ物』BWV.1079より 6声のリチェルカーレ
モーツァルト・・・ 交響曲第41番 ハ長調K.551「ジュピター」
ベートーヴェン・・・ ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調Op.73「皇帝」

楽員はステージに集まり, 席に立ったまま指揮者を待つ。ああいうスタイルも指揮者とひとつの思いで繋がっているようで,なかなか格好いい。他のオーケストラのコンサートでこういう始まりを見た覚えがない。忘れているだけかな。

1曲目のリチェルカーレは, 高校生の頃, NHK-FM「現代の音楽」のテーマだった。ヴェーベルン/A.Webern編曲で冒頭のホルンが今思い出しても泣ける。あの頃をきっかけに, 音楽を聞くようになったし, ヴェーベルンの全集まで買ったんだったっけ。もう黴だらけになっているかもしれない, 随分針を落としていないから。今回の演奏では弦に割り当て, 上手に位置した2nd.Vnから始めていた。1st.Vnは4プルト半。コントラバスは2人が左右に一人ずつ位置していた。シフは曲が始まったらじっと聞くふうで, 手は動いていない。でもなぜか奏者と繋がっているという後ろ姿だった。

2曲目のジュピターにはアタッカではいった。確かにバッハからの繋がりでこの形は深い。左コントラバスの白鬚美しいクラウス・ストールが印象的。本当に楽しそうに楽器を弾いているのが, 見ても聞いてもステキだ。

休憩後の始まりでは, 集まった楽員は座って待ち, シフに促されて立ちあがっていた。こういう始まりなんだね。「皇帝」は, 冒頭の頑強に胸をはった様な音楽も素敵だけど, やはり2楽章がなんといっても好きだ。宇宙の彼方から光がキラキラ自分に降りそそいでくるよう。このキラキラ度が昨晩は特別に高く感じられ, そこから爆発するような3楽章へのアタッカ。ワクワクする。ドラマチックな演奏だった。

曲が終わり満場の拍手。よく演奏会で思うのだけど, 確かにステキではあるけど「普通の演奏」に, 腕が折れそうな拍手をしたり, 果ては「ブラボーーー!!!」と叫ぶ人までいる。でも, 今回は自分でも掌が痛くなるほど。正真正銘の拍手に感じられ, 純粋に意志の貫徹した演奏に感動した。拍手に応えてベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番の第2楽章。ちょっと長く10分ほど, 演奏家たちの心がこめられたアンコールだと感じた。アンコールはやはりこういう曲が良い。素敵な演奏で気持ちを満たして帰宅したいものだ。まれに, 騒然とした雑踏に踏みつけられるような音楽で終わる演奏会がある。「やめてくれよ」と思うことも。昨夜のコンサートはそれとは違った選曲で, いくらでも聞きたかった。でも, それ以上せがむのは失礼と, 満足したままで会場を出た。外は満月の夜だった。

ウェーバーのファゴット協奏曲 9月9日, 2017


元来、ピアノ弾きではシフが圧倒的に好き。この前ラジオで聞こえてきたベートーヴェンの魔笛の主題による変奏曲の伴奏に聞き惚れ、即座にCDを注文してしまった。聞きなおしてまったく別の発見あり。1番のチェロソナタinFもCDに含まれるのだけど、その第2楽章冒頭の主題が、そのままウェーバーのFgコンのテーマになっていたのだ。なんでこれまで気づかずにいたのだろう。「人には常識なのに自分は気づかないまま年老いる」そんなことがよくあるけど…。オリジナルのベートーヴェンのフレーズが素敵なこともある。でも、それを活かしたセンスの良さがあって、この場合、ウェーバーがとりわけナイスに思える。

schiff

オーボエマスタークラス 11月16日, 2010


昨日の夕方、 小雨が降っていてやや気を削がれつつ、フランク・ローゼンワイン(Frank Rosenwein,クリーブランドPhil.首席)のマスタークラスを聴講にでかけた。主眼は、"アンサンブル・フロッグス"(ネムさんたちアメリカンなオーボエ3人グループ)を聞きに行くことだった。何で “Frogs” なんだ? リードを銜えた口の周りが “蛙” なのか? きっとそうだな。とにかく、ちょっと遅れて入ったマスタークラスがなかなか面白かった。Kb.菊池さんとも会場で一緖になり、オーボエの公開レッスンにフルート学習者かいといったちょっと自虐的場違い感もかなり薄れた。感想の一つは、プロ音楽家のたまごたちでも、示された直すべき目標がその場ですぐ修正できるわけではないようなのに改めてホッとしたこと。聞いているだけの人間が、そんなことを言うのは失礼かな。

〔収穫いくつか〕

  1. 常に、音がどこに向かうのか、どの音に帰結させるのかを意識すること
  2. 一つ一つの音符は、表現に関わるもの装飾に関わるものなど、その性格が異なること
  3. 音符には延び縮みがあること
  4. たとえ p と書いてあっても、音楽の本質は 表現する ことなのだから、その中には自然な cresdecres があって当然であること

どれも音楽の基本だよと、自分を棚に上げて偉そうに思い出す自分に気づき、でもできないんだよなあと再確認。それに、表現は違うけどどれも菅原先生が普段教えてくださっていることと同じだな。生徒の演奏の欠点を強調して吹いてみせた上で、目標とすべき演奏を聞かせるのを目の当たりにし、再度"楽器を演奏すること"についてじかに感じることはできたように思う。(やはり、頭ではわかっても実際にはできないのだけどね。)

次の日曜が、我が先生のレッスン生たちの発表会。Damaseを吹くのだけど、相変わらずできずにいる箇所sはともかく、できるはずの音符は思うように吹けたらいいなあ。と、願うだけではだめか。さあ、練習、練習。