「並轡」は何を並べるのか 3月11日, 2011


以前、名大出版会『平生釟三郎自伝』について書かれた文章を読んでいて気になる記述に出会ったことを思い出した。自伝原文は、「今や、我国は、世界的舞台に出で、欧米に於ても富強国と轡を連べて馳騁するの境涯に立てり。」となっていて、「轡」に「タヅナ」とルビが附いているそうだ。筆者は、このルビを「クツワ」とすべきで、「くつわは馬の口にかませるもので、それをならべるから、馬がせりあいつつ前進する意になるのだ」と述べていた。この方は中国文学者で、私も秘かにファンの一人なので意外だった。

何が意外だったかというと、確かにこの字の訓は「クツワ」が普通であろう。『和名抄』にも、「轡 兼名苑云轡音秘、訓久豆和、都良俗云久都和」とあり、『日本国語大辞典』でも、「1 くつわ。(馬の)口の中に入れる嚙(はみ)と面懸(おもがい)にとりつける立聞(たちぎき)につづく鏡(かがみ)、手綱をつける承鞚(みずつき)から成り、鉄または銅でつくられる。鏡の形状により、…などの種類がある。2 おもがい。3 手綱。4 紋所の名。…」とあることにも表れている。(4の紋所は、鏡の意匠によるもの。)

しかし、「轡」は必ずしも「馬の口にかませるもの」を意味するわけではない。『礼記』曲礼上には、「執策分轡…」(<着衣のゴミをはたき落とした上で、馬車の右側から身をかがめて御者席に着き>鞭を手にとり、手綱を左右の手に整えて持ち…)と御者の作法を説明する表現があり、「轡」は「手綱」を意味している。『史記』『漢書』には、「按轡」「結轡」「執轡」「攬轡」「奉轡」などが見える。「並轡」は無い。『文選』にも「並轡」は無いが、「轡」は53例見え、ほとんど全てが明らかに「手綱」の意味である。「轡」は「手綱」。これが典型に思える。『大漢和辞典』がこの字を「一 馬の銜にとりつけて馬を制馭するつな。二 くつわ。」と説明しているのも、第一義が「手綱」であることを反映しているものに思える。つまり、「轡」は、漢文脈で用いられる場合は、むしろ「手綱」を意味するものが多いはずだ。冒頭の「轡を連べて」に附けられたルビは間違いとは言えないように思える。

また、「並轡」という表現を探すと、『人物志』・杜甫詩(「酒酣並轡金鞭垂」)に1例ずつあるものの、宋代以降に用例の多い語彙のようで、『佩文韻府』は、『人物志』・『事文類聚』・杜甫詩・蘇軾詩・楊万里詩・范成大詩を挙げている。他にも『唐詩紀事』や『旧唐書』、『三国志演義』などに例が拾える。それらは、「手綱を並べる」意味であることを明瞭に示しているとは言いがたいが、「轡」の第一義が「手綱」であり、馬の口中に噛ませるものを特定して言う場合には「銜」とすることが多いことを考慮すると、「手綱を並べる」ことから「並んで馬などを進める」意味を生んでいると考えるのが自然であろう。

上記の『事文類聚』・『唐詩紀事』の用例は、「遂に轡を並べて詩を論ず」という句で、「推敲」故事中のよく知られた表現。

賈島赴挙至京、騎驢賦詩、得「僧推月下門」之句。欲改推作敲。引手作推敲之勢未決。 不覚衝大尹韓愈。乃具言。愈曰、「敲字佳矣。」遂並轡論詩久之。(『唐詩紀事』)

最後の句は「そのまま並んで進み、しばらく詩作をめぐって意見を交換した」となる。高等学校の漢文教科書では、誤解を避けようと、「轡」字に読み仮名を「ひ」と附け、語注に「手綱」と記している表現だ。(追記2012-03-26:賈島の故事では、韓愈の乗った馬車と賈島のまたがった驢馬とを並べて進んだものと推測されます。そのことを考慮すると、「並んで馬を進め」としていた表現が不適当であることに気づいたので、表現を修正しました。)

意味にズレがある字といえば、「楓」を思い出しますね。「月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠」や「停車坐愛楓林晩 霜葉紅於二月花」などの句で知られる「楓」はフウであって、サンカクバフウ(タイワンフウ)・モミジバフウ(アメリカフウ)などをいい、「カエデ」とは異なる植物。しかし、訓は「カエデ」が通用している。フウは葉が互生(互い違いに1節に1枚の葉)し、カエデは対生(1節に2枚の葉)する。街路樹に多く、東京なら駒沢通りの街路樹がフウで、バスからでも確認できる。日本と中国古典で意味にズレがある漢字はこの他にも多い。

[追記 2015-09-03]: フウとカエデの相違点を誤解していたことに気づいたので、末尾部分を修正した。